託すことができる人、どのくらいいますか?

託すということはどういうことだろう?

 

もし僕が死んだとしても、その後に僕の意志を継いで僕以上に力強く走り出し、この日本と時代を背負って突っ走る人を、僕はこの10年で何人か創った。

 

そんな関係性は、友人や親友という領域をとうに超えて、今では同志の間柄だと言える。同志は、家族と同様の関係なので、この人のためには命を投じても良いし、この人のために自分の時間や人生を投資することが、そのまま自分の喜びであり、自分の幸せだと想うそんな存在。

 

今日、同志と話す中で、僕が手がけてきた仕事の内の一つを彼に託した。

 

想えば、彼とはもう何年も前に、広島や福岡に行く様になる前に東京にいた頃に、ある本屋さんで声をかけることから始まった仲。

 

会ったときからお互いにフィーリングが合い、その後、色んな事で意見の衝突や見解の違いなどもあり、それこそ紆余曲折あったものの、今では僕の意志は彼の意思、彼の意志は僕の意思となるにまで親密になった。

 

声をかけたとき、後で教えてくれたのだが、彼は実は不信する一面もあったという。今ではそれが、日本を共にかける同志にまで。

 

今日、仕事を共有し、伝達することで、改めて声をかけることの価値を感じて、感慨深くなる一日であることを改めて確認した。

 

僕にとって、託すということが何なのか、また一歩、その理解を深めて前進した気がした。