滋賀県にある僕の実家は、築20年にもなろうかと思うのだが、20年という年数を感じさせる汚れはなかった。
実家では、母親とは料理を作っていたし、父親とは掃除をしたりテレビを話題に交流していた。年末に差し掛かるという時期でもあるし、父母も高齢になってきたこともあるし、普段では手の届かないところの掃除をするか、と思い何箇所が掃除した。
家にいないと、家のことは何も分からないので、掃除道具の場所や洗剤の場所とか、他にもゴミをどう仕分けるとか、調味料や調理器具もどこにどの様に置いてあるのかまで一切が分からない。
一つひとつを聞いているので、ある意味では余計に手間がかかるように見えなくもないが、そういうの一つひとつも交流のうちなので、関心やキモチが行ったり来たりして、とても心地が良い。
今回は、掃除で言えばお風呂はかなり細やかに色んなところを手がけた。他にも冷蔵庫を動かしたり、電子レンジを動かしたり、レンジフード周りだとか。
しかし、やってみて気付くことは、その一つひとつはどれもキレイだったということ。もちろん、汚れが無い訳ではない。汚れは、それ相応にある。しかし、それ相応というのが、毎日の汚れ・・・と言っても過言ではないほどの。
久しぶりに実家に帰ってきてることもあるし、築20年ということがあるのだ。汚れとはもっと、何年来の汚れだとか、蓄積された汚れだとか、そういうのがあるのだろうと期待していた。そして、そんな汚れの存在を前提として、それを取り除くことで感動を提供し、共にキモチよくなろうと。
それが、どうだ?
何年来の汚れもないし、蓄積された汚れ・・・と言っても何週間くらいの勢いで。ほとんどが毎日の汚れ。お風呂は、排水溝の奥の奥までが、微々たる可愛らしい蓄積の汚れだった。
唯一、お風呂のトビラの通気口の中だけはホコリによる汚れがたまってはいたが。壁の継ぎ目のカビもないし、水垢もないし、排水溝も、水道管や蛇口なども、どれもが毎日の汚れ。
お風呂だけではないから驚く。
というか、逆に納得してくる。
父母の、ライフスタイルなんだと。
きっとお家を、自分の体や命くらいに観ているんだろうな。
感動を提供しようとした僕だったが、逆に、父母の生き様に感動させられた。その事を伝えはしたものの、意外にというか、やはりというか、2人は何も動じない。普通。当たり前のこと。
それがまた感動する。
世界の人が、日本人に心を奪われるという一端を、まさか我が家で垣間見るとは。
未来には、島崎家を世界に提供したいと思ったくらいの感動だった。
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