無記名なら

知らない人に声をかける。


今日は入り口としてアンケートから始まる。広島の友人がイベントで使うというので、応援したいと思い、iPadをもって知らない人からの協力を仰ごうとして。


知らない人に声をかける。


ある印象的な3人組。アンケートのお願いをしたところ、「無記名なら応じます」ということだった。勿論、無記名で構わないアンケートである。協力してくれるのは、とても嬉しいこと。


ただ、もしこれが無記名でなければ、こうした協力は得られなかったんだろうか?聞いて確認した訳ではなかったので、その機会を逃した訳であるが、聞けるなら聞いておきたかったことでもある。


結果的に、この3人組の方からそれぞれアンケートに協力してもらえた訳であるが、無記名だからこそ応じてくれたことの背景には一体、何があるのだろうか?


これもまた、今の時代、この日本という環境の下での何かしらの影響があるんだろうか?


あるいは、名前なり、何なりをお願いすることによるアンケートを拒否したくなる様な、個人的見解や心情などが働いているのだろうか?


この3人組の方は、比較的にオープンな印象で、広島についての話題を振ってくれたり、アンケートの内容を深める話題へ転じてくれたり・・・と豊かな交流へと発展していった。


その出発が、「無記名なら・・・」という部分的な条件、限定的な設定、での展開というところが、少しばかりの寂しさを感じるところである。


個人1人ひとりにおいても、

社会や世の中においても、


安心できて

信頼があって

落ち着いていて


そんな日常を実現したいと想う今日この頃。