髪を切ってもらうキッカケ

小さい頃、髪を切ってもらうのは近くの床屋。

その床屋は、お父さんが行っていたので自分も一緒に。

 

お父さんに拠ると小学校のPTA会長や地域の取りまとめなど、随分と面倒見が良くて気さくな人だったらしく、確か高校生か大学くらいになった時には、市議会議員か何かの選挙に立候補していた様な記憶がある。

 

言うまでもなく、その床屋に行くのはお父さんが行ってたから一緒にということだ。自分にとって、それが何か意味があった訳でも、選択をした訳でもなかった。

 

中学校になってからは、床屋を変える。

 

引越しをしたこともあったのだが、同じクラスの友だちが家が床屋で、しかも引っ越した家からとても近かったので、ある意味、自然な成り行きでその床屋に行く様になった。

 

お父さんは、依然として前々から行っている床屋。

お付き合いというか、信頼というか。

繋がりを切るには至らない様子。

 

それから暫くはずっと、中学校の友だちのお家でやっていた床屋に通う。大学に行っても、大学院に行っても、社会人になっても。

 

東京に来て。

 

ある理髪店に通う様になっている。

 

途中、広島や福岡に滞在する期間があったので、勿論、その間は東京でのその理髪店に通うことは出来ない。だけど、福岡から東京に戻ってきてからも、またその理髪店に通う様になった。

 

その理髪店は近くはない。

やや時間をかけて通う。

出来るならば、時間の短縮を試みたいと思えなくはない。

 

でも、通う。

 

お父さんが、引っ越してもまだ通う床屋さん。

それと、そう遠くない趣きなのかも知れない。

 

実は、いつも髪を切ってもらっている人は、代々木公園で声をかけたところから始まった関係なんだ。彼は休みの日に、代々木公園でスケボーの練習をしていた。

 

「滑れますかー?」

 

その一言から始まった関係。

言葉が苦手な彼。

 

一言ひとことは、途切れた単語が、やはり途切れた間隔で出てくる。話していても、間が生まれる時がよくあった。東京に来て間もない頃、まだ関西人としての交流スタイルが抜け切らない中で、東京にいる人たちとの会話にはどこな慣れなさを感じていたことが、今振り返るとあったが、その内の代表的な一つは間・・・この間が生じたとき、ひどく焦る。

 

何か悪いことを言ったのか?

聞こえなかったのか?

次は何を喋ろうか?(相手はまだ返してきていないのに)

 

実は、その彼は喋りながら、とても良く間が生じる。

東京での交流スタイルが慣れていない頃、

そして、声をかけることにも慣れていない頃、

その間は、自分という存在を激しく揺るがす。

 

兎にも角にも、その彼との関係が続いている。

髪を切るとき、それからごく稀にお茶に行くとき、

それ以外は余り交流する彼ではないのだが、

 

何だかこの関係は、とてもとても深い気がする。

そして、深く、太く、絆を築いていきたいと想う。

 

彼に髪を切ってもらう訳、そのキッカケは

「滑れますかー?」に始まる声をかけるところから。

一つひとつ、重なってきたことによる関係性。

コレは、ゼロから築き上げた絆であろうと、

時々にして力強く誇りに想うんだ。