全く違う現場を出現させる。それが、知らない人に声をかける妙味。

「よく来るんですか?」

「今日、BBQ行った方なんですか?」

「新宿の店には行ったことはあるんですか?」

 

今日の話し出しはこんなところだ。

こちらから話しかけないとね、始まらないんだね。

 

え?

一体、何が?

 

今日、友人を誘ってイベントに行った。

 

バーが主催する企画。

パーティー色を打ち出しているイベント。

 

もちろん、友人以外には知っている人は1人もいない。座っている人に話しかけると、それだけで知らない人に声をかけることになる。

 

バーに入ったときのこと。

既に何人もの人が飲んでいる。

楽しんでいる。

そこに僕が入る。

 

普通にしていて、何もしていないのだったら、当たり前のことかもしれないが、誰も話しかけてはこない。ビールを口に運んだり、流れている曲に意識を合わせたり、映像を眺めていても、そこにいる人たちが自分に話しかけてくる訳ではない。

 

僕には、それが不思議な光景に思える。

それは、バーを後にする時にも深まる印象。

 

ここに来ている人たちは意外にも、いや当然にしてと見るべきか、人と交流を持ちたくて、関わりたくて、来ている人が多い。1人で参加する人も結構な数がいる。

 

本来ならば、人と関わりたくて来ているのだったら、自分から話しかけるのが当然だと想うのだが、多くの人は待ちの姿勢だからなのか人から声をかけられなくては自分から話しかけることがない。

 

何回か来ている人、

お互いに顔見知りの人、

 

彼ら彼女らもそうだ。

 

実に不思議な感じ。

 

新しい出会い、知らない人と出会おうとするなら、自分から声をかけないと何も始まらない。そして、自分から声をかけるということや知らない人に声をかけるということは、知っている人に対しても、知らない面と出会う様にさせてくれる面白さがあって、例え知っている人であっても、未だ出会ったことのない側面を見させてくれるものだ。

 

知らない人に声をかけるとはそういうこと。

知っている人との知らない一面を発見する。

 

今日、行ったバーでのイベント。

そこに来ていた人たち。

 

音楽や映像はにぎやかで、お酒も程よく楽しんでいる訳だが、どこか人間を感じない。どこか心を感じない。空虚な空間、空虚な存在たち。

 

大袈裟ではなく、

 

人間の皮を被った機械、若しくはシステムの様に思えてくる。

 

一見すると、その様に見えてしまう。

そして、多くの人が感じている違和感もそれであろう。

 

だから。

 

そんな最中にこそ必要なんだ。

知らない人に声をかけるということ。

そんな状況に声をかけるということ。

 

薄っぺらい関係に薄っぺらい場に対して、

声をかけていくことで、

知らないものと出会おうとする好奇心を寄せることで、

 

全く違う現場がそこに出現する!

何度もそれを観てきた!

 

今日、残念ながらそこにまでは至らなかったが、片鱗の様なものを感じたので、そうした片鱗に全集中で投じることで、次こそは全く違う関係に全く違う場を、そこに出現させてやりたいと心を新たにした。