明日、10/20(日)は友人が2年ぶりに暴れるという日。
暴れると言っても、言葉の通りにして暴力的に暴れるだとか力を制御できなくて暴走するという意味ではない。寧ろその逆で、自分の意志や意図とおりに如何に正確に、そして描いた以上に意欲的に力を体に伝達して表現するか。或いは、自分の意志や意図を超えた団結の意志や集団的知性が主体となって自分の体を道具にして立体的な生命を出現させようとする試み。
暴れるというのは、ダンスのこと。
明日、とても楽しみにしている。友人といっても、実はまだ2回しか顔を合わせておらず、友人というには交流の回数はいたって少ない。しかも、その内の1回というのは僕が渋谷駅で声をかけた正に出会いのことだから、出会った時を除けば正味1回しかあっていないことになる。
だが、知らない人に声をかけることから何度も確認させてもらっていることだが、決して時間の量だとか回数ではないんだね。量や回数を補って余りある充実感だとか充足感、、、質というのはこういうのを指すのだろう。
まるで、彼女とは同志であるかの勢いで交流が進んでいったのだ。
知らない人に声をかけたところから3回目の出会い。それが、彼女のダンスによる公演。初めて彼女から声をかけてくれた時から、とても楽しみにしていた。
こういうこともあるものだ。
普通にしていれば、出会うことのない2人。
僕は彼女に会う機会などない。
彼女も僕に会う機会などない。
知らない人に声をかけるところから得た機会ではあるが、多くの場合はそれを機会にさせてくれないもの。その場で話しても、その場で終わることが多く、その場で話す機会すら恵まれない場合が多い中で。
明日は公演。
彼女が暴れる日。
そして、
彼女が知らないところで、
僕が知らないところで、
もう一つのドラマが生まれている。
一つの物語が始まり、
一つの物語が生まれ、
一つの物語が繋がり、
連鎖的に膨らみ得る。
明日、ホントに楽しみだ。
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