人間の悔しい心

答えを手にする間際に来ているのに

それを手にすることが出来ない

 

そういう事が皆さんにはないだろうか?

 

自分が何者かを知りたいと心の奥底では願うはずだ。しかし一方では、自分が何者かを知る機会に巡りあうことを恐れている。知りたかったから、色々と動き回ったのに、いざ知る機会に恵まれたとき、腰が引けてしまい、出会うこと事態を敬遠してしまうことはないだろうか?

 

島崎にはあった。

あの時は本当に怖かった。

 

しかし、本人は気付いていないんだね。

自分では分からない。

 

どうしてその様になっているのか。自分自身を知らないままの状態だから、答えが迫っている事情に出会うときであるにも関わらず、ワザと危険な事情を用意して、わざわざ不利な事情を設定してまで、答えから遠のこうとする。

 

挙句の果てには、その状況に対して正当な解説までを付け加える。そうして自分を納得させている。よくは知らない自分なのだけれど。

 

島崎にはそれがあった。

 

実は、受け入れる準備が出来ていないんだね。自分と出会うのを、本当は心から待ち望んでいるにも関わらず、それよりも薄っぺらいところで、自分には未だ準備がされていないと思い込むことで、何かを守ろうとする。

 

果たしてそれは、守るべきモノなんだろうか?

手放すことでスッキリするときに来ているのに。

 

そんなこと

繰り返している

人類歴史

 

悔しい。

人間の心。