人間はどんなもんだ?

人間は、そんなもんじゃないだろう?

人間は、その程度のもんなのか?

 

いや、違う。

 

人間は、多くの人間たちが想っているような人間像ではないはずだ。今まで体験してきたことで人間を計るなら、それは曖昧で、不確かで、根拠が無いもの。歴史で経験してきたことで人間を計るなら、それは窮屈で、屈辱で、悲惨で、残酷なことだ。

 

人類の歴史は、500万年ほどの間あっても、平和なときは20日も無かったと言われるから、そんな過去から人間を計るなら、既に人間は絶望の中にいるじゃないか?

 

人間は、そんなもんじゃないだろう?

人間は、その程度のもんなのか?

 

人間は、ホントに進化しないのか?

人間は、可能性が閉じているのか?

 

ホントに、平和な世の中を実現することは出来ないのか?

 

いや、違う。

 

出会っていないだけだ。

変化の兆しに。

 

物質だけがあったとき、そこには未だ生命は誕生していなかった。物質だけがあったときが確かにあった。そこには生命は居なかったのに。

 

ある時、生命が誕生してからは大きな変化。

生命で溢れ出して、生命が当たり前になる。

 

人間も同じ。

 

出会ってしまえば

まるで変わる。

 

物質だけがあったときに、生命を計ることは出来ない。それは物質で生命を計ろうとする愚かな行為として語り継がれる。生命は、生命によって計られる。生命の基本単位、これが生命を計る。

 

人間も同じ。

 

可能性の閉じた人間が、可能性の開いた人間を計ることは出来ない。それは愚かな行為として語り継がれる。可能性の開いた人間は、∞の可能性の人間によって計られる。人間の基本単位、∞の可能性において人間が何なのかが分かる。

 

人間は、多くの人間が思う様な人間ではない。

人間は、そんなもんじゃない。

人間は、こんなもんじゃない。