情報を心として観る

多くの人は、情報を物質の延長で見るのではないだろうか?物質的な印象や発想で情報とお付き合いするのが多くの人たちであろうと思う。情報は、物質の様に均一であり、物質の様に平均的であり、物質の様に固定的である、と。

 

だけど、情報を心として観る方が、

人間的で、日本的ではないだろうか?

 

情報は本来、命のようなもので、関係によって意味合いや価値が変わったりするものだ。同じ情報を聞いても、シチュエーションが違うと全く違う意味合いや価値として受け取るだろう。

 

例えば、島崎は知らない人に声をかける。

そのシチュエーションと言えば、理解し難い。

知らない人が声をかけてくるシーンだ。

 

そこで語られる話の内容を、皆さんはどう思うだろうか?

 

友だちから聞いたとき、親から聞いたとき、メディアが取り上げたとき、専門家が語るとき、他にも様々な情報との出会い方があろうかと思うが、島崎が知らない人に声をかけるというシチュエーションは、これらのどれよりも、意味合いは薄くて、価値も低いものとなるだろう。

 

それは無意識の内に、情報を心として観ているからではないだろうか?そして島崎は、心として観られていることを分かりながら声をかける。

 

普通では聞けない情報を語る。

その時に、心がとても大切。

 

悔しいことも沢山ある。

しかし日々、心を磨いておりたいと島崎は想う。